自分らしさは心を満たすもの ―映画「ムーンライト」を観た感想―【ネタバレ注意】

ライターのもえこです。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 

LGBT について何を書こうか悩んでいたところ、LGBT について取り上げているという噂を聞いて「ムーンライト」という映画を DVD レンタルで借りて観てみました。今回は、ムーンライトについて軽く内容の説明と、その感想を書き記していきます。

 

映画「ムーンライト」とは?

ムーンライトとは、ゲイセクシャルであるシャロンという少年が大人になるまでの人生を描いたドラマ映画です。映画の物語は三章に分けられて進んでいきます。

 

幼少時代「リトル」

まず、幼少時代にいじめられていたシャロンを描いた「リトル」から始まります。シャロンはいじめっ子に追いかけられ、空き家に隠れてやり過ごしているところを「フアン」という大人に発見されます。

 

フアンは、自分の事を全く話さないシャロンを連れてご飯に行った
り、フアンの彼女にも紹介したり、フアンはシャロンをとても可愛がっていました。

 

シャロンは学校では「リトル」と呼ばれて、日々馬鹿にされているところを同じクラスの「ケヴィン」に声をかけられたことで仲良しになります。シャロンの唯一の友人が出来た瞬間でした。

そんなシャロンの世話役をするフアンの仕事は、薬物の売人です。そのことはシャロンには秘密にしていました。

 

青年時代「シャロン」

第二章は、青年時代のシャロンを描いた「シャロン」です。シャロンが青年になって学校に通うころには、フアンは亡くなっていました。相変わらずシャロンの母は薬物に依存し、挙句の果てにシャロンからお金を貰おうとします。

シャロンは海辺へ行き、ケヴィンと共にいろいろな話をします。男性が好きであることを打ち明けられないシャロンは、もじもじとしながらケヴィンと語り合います。

 

そして、お互い目を合わせたときに、自然と顔を寄せ合いキスをしました。ケヴィンはゲイセクシャルであるかどうかは、この映画では描写がありませんでした。

シャロンは学校でも「オカマ」と呼ばれていじめられ、とあるきっかけでケヴィンがシャロンを殴る役目をいじめっ子から押し付けられます。

それがシャロンの怒りとなり、シャロンはいじめっ子へ仕返しの暴力をして、警察に捕まってしまいました。シャロンとケヴィン
は、それがきっかけで疎遠になってしまいます。

 

成人「ブラック」

そして、大人になったシャロンを描いた「ブラック」が最後の章になります。

 

暴力で捕まったシャロンはその後引っ越して、フアンと同じ売人となってお金を稼いでいきます。幼少期に比べて、身体つきもたくましくなるほど毎日鍛えていました。

 

そんなある夜中、シャロンの元へ電話が着ます。なんと、あの暴力事件でそのまま会うことがなかったケヴィンからの連絡でした。

 

とある料理屋のシェフをしているケヴィンは「久しぶりに会いたいから、うちの料理屋に顔を出してくれ」と伝えます。

シャロンはその言葉通り、ケヴィンの勤め先まで会いに行きます。そこでふたりは、今まで胸に秘めていたことを語らうのです。

 

 

以上の三章を、少し内容は省きつつご説明しました。物語はシャロンを中心に進んでいきます。

 

「ムーンライト」の魅力

この映画は、セクシャルに限らず様々なマイノリティを題材とした映画です。

 

主人公シャロンの人生はかなり壮絶なもので、学校では「リトル」や「オカマ」と呼ばれていじめられ、シャロンの母ポーラは薬物依存で家庭環境はかなりひどい状態です。

セクシャルマイノリティ以外にも、シャロンの過酷な人生が描かれています。内容だけ見るとものすごく重いと思ってしまいますが、とても観やすい映画でした。

 

なぜなら「映像と音楽の美しさ」が、物語をただの重い内容にせずに人物の心情を上手く表現していたからだと思います。

シャロンが映るシーンでは表情や言葉よりも、音楽でシャロンの心中を表しています。また、映像のカラーの使い方がとても繊細で、映像作品としても引き込まれました。

 

「ムーンライト」から見る LGBT

そして、題材の中心であるセクシャルマイノリティに関しても、非常に感動するものでした。

 

なんといっても、第一章「リトル」に出てくるフアンの言葉がとても優しく、当事者の背中を押してくれます。

 

シャロンはフアンに「オカマって何?」「どうやったら自分はオカマだとわかるの?」と質問をするシーンがあるのですが、フアンは「オカマってのは、ゲイに不快感を与える言葉だ。もしゲイだとしても絶対にオカマなんて言わせるな。」「自分でいずれわかる。今はまだ分からなくてもいい。」と強く伝えます。

 

オカマと同様に「オネエ」という言葉もメディアを通してずっと使われている言葉です。オネエ以外にも「ミスターレディ」と言われた時期もありました。

オネエって、ゲイやトランスジェンダー関係なく総称して使われるケースがあるため、当事者にとって悲しいことです。その現状に対して、フアンの言葉はとても心の支えになるものでしょう。この認識が、日本全体にも伝わってほしいと思います。

 

オネエという表現も、本来必要のないものだと私は思います。そして、フアンの「自分でいずれわかる。」という言葉。自分のセクシャリティが確かなものか疑問に思う事って、多くの人間にあることだと思います。

 

私自身も、自分をゲイだと思い、その後 X ジェンダーへ辿りついたと思えば、未だにトランスジェンダーへの疑問も抱えています。でもきっと、いずれ分かるものです。

 

自分にしか自分のセクシャリティは分かりません。自分のセクシャリティを決めることを焦る必要はないのだと私は思います。

 

そして、第三章「ブラック」でシャロンが唯一の友であるケヴィンに大人になって再会するシーンに、私はすごく心を打たれてエンドロール中に涙が止まりませんでした。

セクシャルマイノリティの当事者にとっては、いずれぶつかる壁である「カミングアウト」の瞬間です。

 

詳しくは、私が語るよりも映画を観ていただいたほうが伝わると思います。実はこの映画、完結をして終わりは迎えません。シャロンがケヴィンに本当の気持ちを伝えたタイミングで映画は終了します。

シャロンのこれからの経緯は誰も知らないままです。シャロンの人生はこれからどうなっていくのだろう、幸せになってほしいな、と思えるよい終わらせ方だなと私は感じました。

 

ジェンダーに恥じない生き方

この映画を観て、私は「自分のジェンダーに恥じない人生を生きたい」と思いました。

 

私たち LGBTQ のセクシャルマイノリティとは、誰かに決められてなったものでしょうか?きっと違うと思います。シャロンもそうです。生まれながらにゲイセクシャルでした。

ですが、フアンはシャロンを否定せず自分のセクシャルは、自分が生まれたそのときから持っているアイデンティティなのです。

 

セクシャルマイノリティを隠して生きている人はこの世の中にたくさんいます。私もそうです。だって、そうしないと周りから嫌われてしまうのではないか、変に思われてしまうのではないか、と不安を毎日感じていました。

 

私は、周りの人のために自分のアイデンティティであるセクシャルを隠して生きてきました。自分を守るためではなく、周りの目を気にして隠してきました。

 

私はまだ、私のセクシャルとして人生を歩んでいません。きっと私の人生が満たされる瞬間は、セクシャルに恥じない生き方を見つけたときだ、と、そう考えさせてくれた映画でした。

 

セクシャルマイノリティの方にはぜひ見てほしい作品です。それでは最後に、シャロンが幼少時代に出会った「フアン」という青年の言葉を添えて、今回の記事を締めさせていただきます。

 

「自分の道は自分で決めろよ。周りに決めさせるな。」