自分のセクシュアリティって?

1996年に、私は男性として生まれました。小学生の頃、恋愛は特に性別を意識せず「仲良くなった人を好きになる」傾向がありました。そして、成長が続くにつれて性的欲求が湧いたとき、初めて自分が男性愛者であると自覚しました。

 

ですが、周りの恋愛・性的話題において対象となる相手は異性でした。同性愛だと感じた自分は「同じ考えの仲間がいない。きっと自分はおかしいんだ」と、自分を責め続けました。

 

当時、LGBTという言葉が世間に広がっているわけでもなく、メディアで当然の様に「ホモ」「オネエ」がお笑いの要素として扱われている時代でした。私自身、LGBTという概念すら知りませんでした。

小学生の頃は少女向けのアニメをよく見たり、スカートや可愛らしい女性の服装に憧れてはいましたが、性別に似合わない事をすると家族・友達に馬鹿にされるだけで、みんなから「男性らしさ」を求められる日々でした。

 

性別関係なく好きなものは好きと言いづらい、そんな体の性別と心の性別の差異を突き付けられるそんな毎日が嫌でした。男性である自分は男性に愛されないと感じたとき「それならば、とことん女性らしくなってやろう」と、心に決めたのです。

 

本当の自分はどこ?

中学に入ってから、インターネットで女性らしい仕草・言葉遣いなどを調べ、日々意識して行動しました。歩き方、座り方、一人称や語尾など、出来る限り違和感のないように変えていきました。

 

男性の思春期特有のムダ毛も、母のカミソリをこっそり使い毎日お風呂で隠れて剃っていました。その時に誤ってかかとの皮膚を深く抉ってしまった傷は今でも残っています。

 

声もだんだん低くなり、常にワントーン高めの声を出すようにしていました。体格はどうしようも出来ず、自分の体の成長が進むにつれて、女性らしくすることがどれだけ難しいか実感しました。

 

ひげも生えて、剃っても跡が残っているのを見られるのが嫌で、学校生活はずっとマスクをつけていました。仕草は自然と出来るようになっても、体の影響には抵抗できず、いつしか諦めていました。無理矢理剃り続けた皮膚には、傷ばかり残って、とても女性らしい肌なんて言えませんでした。

 

ゲイとトランスジェンダー

高校生になると、スマートフォンを持つようになったため同性愛について調べる日が増えました。そこでやっと、ゲイ(G)という言葉を知りました。

「男性が男性を好きになる。まさにこれじゃないか」と、思ったのですが、なぜか違和感がありました。

 

家族に内緒でゲイの人と知り合い、性行為もすることはありましたが、私が求めていたものとは違いました。ゲイの人に限らず、どれだけ女性に近しい行動をしても、みんな私を男性として見ているのです。私は、恋愛関係なく女性として見てほしいんだと気づきました。

ですが、女性として見てもらうには、手術など莫大なお金が必要になります。高校生でお金もない私は、男性として生きることを仕方なく受け入れました。

この世に私を受け入れてくれる存在はいないと、そう思ってしまったのです。GID(性同一性障害)の診断を受けたわけではないため、トランスジェンダー(T)という確信も持てませんでした。

 

教授の衝撃の一言

大学に入ってゼミの生徒と教授で飲み会を行ったときです。

 

突然「LGBTについてどう思う?」という教授からの質問がありました。私はカミングアウトしていないため「考えたことないですね」と嘘をつきました。

 

周りのゼミ生は「いてもいいと思う」の意見ばかりで、一見肯定的ですが「LGBTは許可が下りないと存在してはいけないのか」と疑問を持ちました。

 

ですが、一番衝撃を受けたのは教授の言葉でした。

 

人口減少の原因ではないか、異性を好きにならないし子孫を残せない、など否定的なワードが飛び交い、しまいには「生物学的におかしい」と、存在さえ否定されました。その意見に対して反論できない自分にも悲しくなりました。

私は、選んでセクシャルマイノリティに生まれたわけではないです。ただ、体と心の性別が一致しないだけです。それだけで、この世の存在とは程遠くなってしまうのでしょうか。

 

求められる男性らしさ

職場でも、ビジネスマナーとして男性の立ち方・座り方も教え込まれて、今まで積み上げた女性らしさを修正されます。

 

今、私が女性らしく生きていられる空間は、この文章を打っている小さな部屋の中だけです。ワンピースを着て、化粧をしても、外には出かけられません。

家族にだって見せられません。

ゲイともトランスジェンダーとも言えない私は、LGBTよりもマイノリティで、男性女性に定まっていない多様な意味を持つ「Xジェンダー」という言葉を借りて、自分の性自認としています。

 

Xジェンダーとしての自分

化粧をしている自分、可愛らしいイヤリングを付けている自分が好きです。心の性別に抑制をかけないことがこんなにも生きやすいとは、幼い私は気づきませんでした。

このセクシャルマイノリティを知ってもらうには、当事者自身が声を上げていかないと周りが気づけないことだとは思っています。しかし、当事者にはクローズで秘密にして過ごしていたい人もいます。

 

だから、私が目指すセクシャルマイノリティの姿は「世の中の当たり前」になることです。当事者が「隠して生きていなければいけない」「オープンにしてみんなに知ってもらわなければいけない」と考えなくてもいい、価値観がフラットになる世の中が一番の理想だと思います。

マイノリティとして扱われている現状は、きっと良くも悪くも特別扱いされていると思います。セクシャルマイノリティが個性として扱われなくなることが、性が平等となることをいうのではないでしょうか。

 

セクシャルマイノリティへの配慮

私は、法律で同性婚が一刻も早く認められてほしいと思っています。
近年、LGBTの活動などで世間への認知度も上がり、少しずつ理解も増えているとは思います。

 

ですが、同性婚は法律でまだ認められていません。2018年6月現在、6都市で同性パートナーシップという結婚と同等に扱う権利が得られる制度がありますが、戸籍上は他人のままです。

正式な結婚が認められると会社勤めの方なら福利厚生で祝い金や休暇を貰え、所得控除などの税金で優遇される面もあります。同性パートナーシップ制度は正式な結婚扱いではないため、この援助は適用しません。

 

最大の問題点

私として最も問題だと思っているのは、パートナーが亡くなってしまったときです。戸籍上他人扱いならば、喪主にもなれず遺族側の立場にすらなれないのです。

 

LGBT問題では結婚問題が多く話題として取り上げられることが多いためか、パートナーが亡くなったときの問題にはあまり触れられません。

 

遺族・親族側の席に座れずパートナーの葬儀に立ち会えないのは、非常に悲しいことです。最近では一般の方を呼ばない家族葬が主流になっている傾向があるため、一般としても参列できないケースは必ず増えます。この問題は、当事者でない方にもパートナーを亡くしたときの悲しみは理解してもらえるはずです。

人間として解決しなければならないことです。

同性パートナーシップ制度は、あくまで当事者の気持ちの問題のために用意されているように思います。結婚・葬儀問題にはあまり配慮されていないと私は思います。もし、セクシャルマイノリティの立場を異性愛者と本当に平等とするならば法律で認められる他ありません。

 

これから・・・

私自身は、メディアライターとして当事者の悩みを現実的な目線で取り上げていきたいと考えています。現実的なことで、当事者にも、またそうでない方にも理解されやすくなると思うためです。

 

時には、当事者が楽しめるようなイベント・雑学的な記事も書きたいと思っています。よろしくお願いいたします。